小堀球美子のひとりごと
寅に翼について
今日の朝ドラは考えさせられた。
物語では、ヒロインが弁護士として事件処理に加え、社会的活動として雑誌の連載や講演活動を行い、それと妻であり母であることの両立がどうしてもできないという場面が描かれていました。
それなら結婚しなければいいのに、と声が聞こえてきそうですが、人間そう合理的にはできていないのです。よく、判決で「と考えるのが合理的」とか理由づけられていますが、そもそも人間の行動自体が不合理なので、この論理の進め方はおかしいです。
でも、個々人の事情、個人の能力の差など様々なので、普通とか合理的とかで人の行動を計らないと判断しようがないというのが実情だからそう判断している。そうすると、民事訴訟の事実認定てなんかむなしいことになります。
ヒロインのように弁護士としての事件処理だけでなく、いろいろな活動を行う弁護士がいます。それは多岐にわたりますが、何に重きにおいて行動しようと自由なので、いろいろやり過ぎます。
私は、事件処理がほとんどの仕事でほかの活動はあまりないので、単純だろうと思われるかもしれませんが、それでも25年以上仕事をしているといろいろな事件の処理を求められるものです。
私は、私のキャパシティは、ゴム風船のように自由に形を変えられるもので、後から後から注入しても、風船が広がるだけで対処可能と思っていました。しかし、案外キャパシティは四角い固い箱のようで、もうこれ以上注入するのは無理、と思うようになりました。
いろいろな活動も行っている弁護士が相手方だと、すごく待たされることがよくあります。明らかにキャパが足りていないのです。
だから、ヒロインのケースだけでなく、みんなキャパ超えで悩むんです。
物語だから黎明期の女性弁護士の問題としてクローズアップされるけど、キャパ超えで悩むのは仕事人としてはよくあることだと思うので、あまり矮小化して描くとちょっと嘘くさく感じてしまう。また、文句言っちゃった。
2024-05-23|タグ: