小堀球美子のひとりごと
津軽海峡冬景色について
年末の紅白で、石川さゆりさんが「津軽海峡冬景色」を披露していました。
私は、リアル津軽海峡冬景色で、父の実家が江別市にあったため、お盆休みとか正月休みに津軽海峡を渡っていました。
私の世代なので飛行機もあったのですが、何回かは津軽海峡を越え、青函連絡船で行きました。
上野発の夜行列車はすごくせわしなくて、乗ったらお弁当、お弁当が終わったら寝るという状況で、客室の2階寝台で、母に早くお弁当を食べるよう言われて、胸に支えて泣きながら鮭弁を食べた記憶があります。
青函連絡船を降りると、本当にそこは雪景色で、江別へはバスで向かっていました。バスの中で、私より小さな男の子が、看板を見て「飯(めし)」って書いてある、飯食べたいと言っていて、お母さんに「飯」なんて乱暴な言葉を使っていけない、そんな言葉使う子はおんも出しちゃうよと諭されていました。男の子は、「じゃあ、今度お父さんが飯って言ったらお父さんをおんも出さないといけない」と発言していて、年少の私が周囲と一緒に笑った記憶があります。
当時の日本は交通も面倒が多かったですが、何か、無駄であるかな行程がいとおしい記憶となり、残っているものです。
2022-01-11|タグ: