小堀球美子のひとりごと
勝安房について
せごどん、でも、勝海舟はなんだか気っぷの良い江戸前の男で、明治維新に貢献した人物のように描いています。
しかしだ。勝さん、こちとら、折り紙付きの江戸っ子だ。板橋の富士見病院で産湯をつかい、西が丘サッカー場の側で幼少を過ごし、「富士が見えるよ、車が走るよ」というおよそ趣のかけらのもない校歌の北の台小学校(今は廃校)で光化学スモッグにおびえ、アスファルトの校庭でウナギ取りをした、生粋の江戸っ子にとっては、お前さんは偽物さ。
幕臣が何の疑いもなく、幕末の徳川に従ったのではない。
もう少しの先に、幕府の行く末などないことは、少しの学のある幕臣なら分かっていたはず。新撰組だって、先のないことを分かっていたからこそ、神経質の極みである局中御法度など制定したのだ。
その中でだ。長い歴史で征夷大将軍が徳川にあった意味を重んじた者の義の心を、勝さんは屁のように扱ったのではないか。
新しいものを重んじる者には、目新しさがあり、斬新に写る。でも、いかにも軽い。
その辺の心の有りようを、私は忘れないでいたいと、思う。
かっこいい勝安房
2018-07-30|タグ: