小堀球美子のひとりごと
渡航方法について
せごどんが、奄美大島へ行った時の「船」。大河ドラマでは、カヌーのような船を船頭が櫂でこいでいました。
江戸時代に、鎖国を国是としていた日本で、どんな船で行ったのか興味がわきました。
当時の和船は、ははぎ合わせた板材に棚を追加し船梁で補強する棚板造りの船を、一枚の帆で曳航したのが普通だったようです。帆も初めはムシロだったのが、次第に帆布が開発されたようです。
当時は鎖国が国是でしたので、初期には大きな船の建造自体禁止されたそうですが、次第に規制は緩くなり、大型船の建造も可能となりました。実際は、参勤交代などで苦しめられた藩の財政上それが難しかったようです。
現代に生きる者としては、当時の技術でちっぽけな船で方向も迷わず、奄美大島まで行けたのかなと素朴に思いましたが、北前船なども盛んでしたから、当時の技術は侮れないと思いました。
思い起こせば、各地の島々に太古からの人の痕跡があるのですから、人間の海の遠く島影にそこへ行ってみたいという好奇心は、当時の技術を遙かに超える動力があったのだと言うことなのだと思います。
2018-08-06|タグ: